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    テンポイントと私

    私が競馬に興味を持ち出したのは、20代前半の頃だったと思います。
    特に、この頃、中央競馬会では地方競馬出身の「ハイセイコー」という名前の馬が人気になっており、この馬の存在が、私を中央競馬のファンになるきっかけとなりました。
    そして、私が初めてファンになった競走馬は、栗毛が綺麗な「テンポイント」です。
    テレビで初めてこの馬のレースを見たときから私はファンになりました。
    テンポイントは関西馬で、デビューから3戦目のレース昭和50年12月に行われた「阪神3歳ステークス」をテレビで初めて見てから大ファンになりました。
    今でも杉本清アナウンサーの直線に入ってからの名調子「見てくれこの脚、見てくれこの脚、これが関西の星テンポイントだ」が今でも私の耳に残っています。
    このレースでは、2位の馬に大差をつけてデビュー戦から無傷の3連勝を勝ち取りました。
    あまりの強さに私は唖然としました。きっとこの馬は大物になると。
    明けて4歳馬になってからは、皐月賞、ダービー、菊花賞等のクラシックレースでは勝てず、
    その後、天皇賞や有馬記念などで優勝し、国内では敵なしとなり、ハンデ戦の日経新春杯を走ってから、海外のレースに遠征することに決まっていました。
    このレースはハンデ戦になっていることから、なんとテンポイントは66.5キロの重さのハンデを背負わされていましたが、当時の
    テンポイントの絶対的な強さを知っているファンは、すでに海外遠征が決まっていたので壮行レースとして位置づけていました。
    しかし、テンポイントは4コーナーを回ったところで競走を中止したのです。それは、左後脚を骨折してしまったからです。
    目を覆う光景がテレビの画面に映し出されていました。
    テンポイントが負った骨折は、普通ならば、即安楽死処分がとられる重症でありましたが、延命嘆願がやまず、獣医の見解では、ほぼ回復不可能な状態でしたが、なんとか助けてあげたいという声もあり手術を行うことにしました。
    馬主さん達はなんとか頑張って生かしてあげようとしましたが、懸命の治療もむなしく、テンポイントは天国へと旅立っていきました。
    現在の医療技術があればテンポイントは助かったのではないかと言われています。そしてテンポイントの死をきっかけに66.5キロという重量を背負うことはほとんどなくなりました。テンポイントの死を決して無駄にさせてはいけないと思います。
    最後に「ありがとうテンポイント。さようならテンポイント」安らかにお眠りください。